別子銅山・東平の旅Ⅱ
前回に引き続き、別子銅山・東平の旅です。
採鉱本部が旧別子から移転し、ここ東平が銅山の本拠地となりました。
別子銅山は元禄4年に採掘が始まり、昭和48年に閉山され、
その約280年間に約65万トンの銅を算出し たそうです。
一貫して住友家が経営していたという世界的にも珍しい銅山です。
経営した住友家が巨大な財閥となる礎となった 事業です。
それと共に派生する産業により地域社会だけにとどまらず、
瀬戸内工業地帯全体の中核を担っているとのことです。
東平は、採鉱本部が移転し鉱山町となりました。
海抜750mの高さの地に町があったことに驚きます。
まさしく空中都市ですね!
最盛期の昭和30年から40年頃には人口約5000人が
住んでいたそうです。
採鉱事務所、貯鉱庫、策道基地のほか
社宅、学校、病院、劇場、接待館などの文化施設まで。。。
発展の歴史の裏には、煙害との戦いなどの歴史もありました。
精錬用の燃料にするための木の伐採や煙害によりはげ山になったり、
精錬により亜硫酸ガスが発生し農作物に甚大な被害
被害農地の買い上げや製錬所の移転、損害賠償などを行ったそうです。
ただ、足尾銅山の被害と違い、会社側は被害防止に前向きな対応を
図っていることが特徴で、ガイドのおじさんも煙害については触れませんでした。
住友に対してとても好意的に話す様子が印象的でした。
コメント
行きましたよ、5~6年前に
ブログに詳しく書いたのにないので、きっと
消した前のブログですねw
2016年5月31日 2:05 PM ⑦パパ
⑦パパさん
コメントありがとうございます。
行かれたんですね(^^♪
天空ブームのせいか?!ものすごい人出でしたよ。
アクセス道路がもう少し良くなること
と、遺跡がかつてのどの建物と結びついているのかいまいちわかりにくかな?
2016年5月31日 2:42 PM takako
コメントフィード
トラックバックURL: https://rurban-design.jp/sou/%e5%bb%ba%e7%89%a9/17893/trackback